昭和40年02月04日  夜の御理解



  今日は4日会で御座いましたから、先生方が集まられて、信心の話やら共励が御座いました。まぁその集まりが遅かったもんですから、もう11時頃からだったでしょうか、もうお昼の御飯お話しをゆっくりする暇もなかったんですね。それで結局御飯がすんでからまた丁度、4時すぎ迄でしたでしょうか、熱心に色々とお話しが御座いました。私はいつもその会には入りませんけれども、今日はそんな訳でございましたから、私もお付き合いさせて頂いた。
 本当に色々これ程真剣に、例えばここで先生と言われる方達が本当に先生と言われるがたあるだろうかと、本当に先生と言われるなら生徒がおらなきゃならん。まぁ学校でゆうならもうここでは何の先生でも同じこと、弟子なら弟子がおらなきゃならん。まぁ何人かの人達でも、例えばなら秋永先生、秋永先生と云うて福岡辺りでも皆さん集まって来て下さる。その方達にあの教えてあげられる、御取り次ぎでもしてあげれるだけのものがあるだろうかと。
 けれども皆さんが自分が、私は秋永先生ばいというた訳じゃない。いつの間にか誰かが所謂、先生という称号を自分に送って下さってあるのだから、それに対してでもです、それに対してでも、何かいつも与えられる物を持っとかにゃならんと言う事に、努力すると言う様な事を言っておられますね。ふと不思議に神様が顔を立てて下さってますね。まぁ今日も出る前に、何人も尋ねて見えられて、そのいろんなお伺いの事やら、相談やらがあったんですけど、その時その時に応じてですね。
 丁度それに答えさせて頂けれるような、お繰り合わせを心の上にも、又形の上にもおかげ頂いて、この事だけは不思議ですというて、話しておられます。私はそれが必要だと思うですね。皆さんでもそうです。いわゆる椛目の信者であるという、さぁほんとに信者として、そのお広前に御縁頂いておるんだけれども、神愛会の会員として、祈りを頂いておるんだけれども、祈りを受けておると言う事がです、ただ自分がおかげを受けておると、いうだけでは相すまない。
 受けておるがたの例えば、信者らしい信者になっておるだろうかと、言った様なですね。総代さん総代さんと、皆んなから言われるが、総代としての果たして値打ちのある、信心が出来ておるだろうかと。総代、総代と自分がおかげを頂く為に、成程熱心に信心はしておるけども、なら総代としての信心が出来ておるだろうかと、秋永先生じゃないけれど、そこを考えてみる必要があるんじゃないですかね。そこでです、神様が総代としての、顔を立てて下さろうとする何ものかが、必ずあると言う事です。
 秋永先生なされた同じ事です、ね。もう午前中もまぁこんな風邪の具合いが悪う御座いますけど、一生懸命奉仕させて頂いておると、おかげで御用に使うて下さいます。あちらに下がりますと、もう私は今日は炬燵の中に足を長くして、半分寝たような形で、皆さんのお話しを聞いたんですけれども、皆さんが帰られてから、すぐ表に送り出しもせずに、私、二階に上がって休ませて貰ったんです。
 久富先生の奉仕を受けながら休んだ。休んだら御夢を頂いてるんですね。『丁度昔の、あの田舎で芝居小屋がよう時々、芝居があると芝居小屋が出来ますね。丁度そんな芝居小屋ぐらいの感じなんですね。中にこう歩く道が出来ておる十文字に、そこをですね、細いつえ杖をつきながらですね、座頭さんがこう足を上げてから「私は盲で御座います。御免なさい。御免なさい」というてから、通ってゆきよってですもん。それから皆んながどおして盲やろか何か言いよる。
 どうして勘の強い盲さんやろかと、言いよる人もあるとですたいね。それがその目は開いておるけどあき盲のごとある。そして私はそれを見た所が、実にその勘がよかですもん、転びなさらんですもんね、何か、転ぶかと思うと、ちょっと、転びもせずに、向こうさ行きよんなさる。皆んなが盲ごとしてるばってん、あれはちっとは目は見えるとど、と皆んなが言いよるとです。「私は盲でございます。御免なさい。御免なさい」と大きな声で、杖を払うようにして行きよんなさいます。
 誰じゃろうかと思うてから、何処のどこさんじゃろうかと思うたら、なんの(笑)久富先生』ここが現在の久富先生の信心ばいなぁと、私は思うたんです。信心する者は肉眼をおいて、心眼を開けと仰るが、確かになる程、皆んなが言っておるように、ありゃまぁ完全な盲じゃなかちいとは見えよるばいち。で私は盲で御座いますと、皆んなが避けよる。避けながら、皆んながそのどうして盲じゃろうかとま言うておる。笑うておる者も油断しておる者も感心しておるものもおるという。
 これが本当に一つ肉眼が無くなってしまって、心の眼ばかりだけで見るようにならせて頂いた時が、久富先生の本当のおかげじゃないだろうかと思うですね。どうぞ私断片的な御話しをしておりますから、断片的な話の中から、何をか皆さんが感じて頂きたいとこう思うのですね。次々と頂くんですね。私今日御道の新聞を読ませて頂いておりましたら、ある女の先生が書いておられます。
 死ぬ程好きであった人と一緒になった。その人とも別れて貧しい宗教家と一緒になったとか、それが金光様の先生であった。金光様のこの字も知らない私がです、金光様の信心をその御広前の内助の功を尽くさせて頂いておりますうちに、主人が亡くなられたから、自然私がこの教会長として、もう20何年奉仕させて頂いておる。別に朝早起きをするという訳でもない。ね、
 只うちの御用をしたり御参りがあったら、御神前に出たり畑の仕事をしたり、まぁ家族の御用をさせてもろうたり、御神前の奉仕させてもろうたり昼頃。ともなるとあのテレビの「うず潮」が楽しみだと、言う様な事が書いてある。夜になると別に夜の御祈念を、する訳でもないないけれど、丁度参り合わせた何人かの信者と一緒に、テレビども見て楽しませて頂いておると、そういう私でもです、神様が使こうて下さって、細々ながらも病気の娘と2人で、生活のおかげを頂いておる。
 東京に行っておる息子さんが帰ってきて、こう云う「不自由な生活をしてから、どうしますかお母さん、もう少し楽な生活にならせて頂かにゃいけんですよ」というてくれますけれども、矢張り水道も引ききらず、ポンプも付いておるし電気釜も買いきらずに、薪をもってまだ御飯を炊いておる。それでも何とはなしに、こうしておかげを頂いておる事が有難いと。
 近所の教会には、大変御ヒレイのたつ教会があって、朝のお参りも30人も40人もあるような御広前がある。月次祭ともなると沢山のお供えが集まって、まぁおかげを受けておられる教会もあるのに引き替えて私のような教師、私のような教会もあるけれども。私共は私共なりに、神様がおかげを頂かせて下さる事が、有難いと言う様なの、読ませて頂きよりましたら、非常に文章が良い文章ですから、つい最後まで読んでしまうんですね。どうして、ふうたらぬい先生じゃろうか。ね。
 本当にこう言う様な先生が、こう言う様な教会が全国にたくさんあるんじゃなかろうかと、何か読みながら、はがゆいものを感じながらです、それでも矢張り神様がおかげを下さっておるという実感のなかに、毎日をこう過ごして居られると言う様な記事なんですよ。その方の事を、私祈りながらちょっと思わせて頂いたら、あの『楽員さんたちの装束』を頂きました。
 ははぁいわば半分は先生、半分は信者と楽員は取り扱いを、そういうふうにせよと言うておられますもんね。ここの石橋先生なんか、楽員は信者なみではいかん。信者と先生の、あい中ぐらいの所の、取り扱いをせろというておられます。だから神様がその先生の為には、そう言う様な程度ですね、矢張りひとつのささやかながらも、苦しいが苦しいけれども、神様のおかげを頂かなければ、立ちゆかんという、その一つの思い込みと言う様なものがですたい。
 その矢張りおかげは下さっておると言う事です。ね、それなりに只これもそれは別にお伺いしなかったんですけれども、ある教会の夫妻を頂くんです。『その先生が、その金縁眼鏡をはめておられる。そしてからそのこうして字を読んでおられるようにです。そしてやっぱ眼鏡をはめておられるから、やっぱ大きく見えるんです。向こうの方から見られる時には、こうしてから見るでしょうが、眼鏡をこうこうして向こうの方を、こうやって金縁眼鏡をかけて見よんなさる』所を頂いた。
 ははぁこの先生はいつも、こういうふうで人を見なさる。信者を見なさるがほんなこと見よんなされんなぁ、眼鏡で見よんなさる。でなかったら向こうの方で、こうやって奥の方の目で結局は人間の目で見よる。心眼をもって見なさらん。そこにいつも問題があるのだなぁと私は思うた。その方の奥さんなんか、奇麗なあのかすりの上ッパリを着ておられる。そしてこの頭の髪は教会婦人と云うのじゃなくて、矢張り今の流行りの、まぁ普通一般の人が結うような洒落た髪を結うておられる。
 普通本当はそうじゃないですけれども、私心眼に頂く所はそれであった。ははぁこの人はほんと、ほんとに立派な教会婦人としては、もうほんとに立派だと思うけども、それはあの一信奉者として立派であると言う事であって、教会長婦人としては、この人は返ってその、内助の功は尽くせない人だなぁと私は思うた。そう云う一つの、そのまぁ一つ一つのですねぇ、まぁ断片的な、私が申しました話しを聞かせて頂きながら、皆さんが何を感じられたかと。ね。
 結局自分達の信心なりにです、神様はおかげを下さると言う事、そこで今度はそんなら、こう言う事になりゃしませんでしょうかね、商売なら商売をさせて頂いておる。本当に、御道に基づいた商売をしておる。本当に喜んで神様にじゃない、そのお客さんに喜んでもらわねばおかんと、喜んでもらわねば帰さんという位なお客さん本位の、いわば思い込みでなからにゃおかげは受けられんと思い込む。
 お客さんに喜んで頂くと言う事が焦点であると言う様な、道の流儀に叶うた、いわば商売をしておると致しますとですたい、それがそう信者さんに商売人にお客さんにです、喜んでもらえるって言う事がないに致しましてもです。秋永先生の話じゃないですけども、ね、先生と言われ先生がたあるかと、そこにいつも焦点を置かせて頂いておると神様がですね、ちゃんとその蓮根食うて下さるように。
 例えば次々とその、お参りして来たり、相談に来たりする人達に対してから、適当な事が言えれるような、話せれるような伝えられるようなお繰り合わせを下さっておると言う事なんです、ね。私共の例えば商売なら、商売させて頂くと言う事の、その心情がです。お客さんに喜んで、いわば信心させて頂いておるのであるから、矢張り信心に基づいた商売をさせてもらわねばならないと。為にはどうでもお客さんに喜んで貰うと言う事を、中心にしなければならない。
 そういう一つの思い込みを持ってですたい、その商売の仕方に対して何時も反省の心を大きく持っておかげを頂いて参りますならです。出来てはいないでも確かにお客さんが帰られる時には、はぁおかげで本当に良かったと言うてですね、本当に喜んでもろうて帰られる様なお繰り合わせを、神様が下さると私は思うのです。細々ながら信心を続けて神様のおかげを頂かせて貰うと言う事が、有難いと言うてもです、ね。
 心眼も開かず只人間的な見方だけで、お取り次ぎをさせて頂くと言う様な、いかに金縁眼鏡をかけて御座るが、よか先生のごとあったっちゃそれではおかげは受けられんと。その中間に於ては道すがらに於ては、人から笑われてもいい。久富先生にはそれがないですけど「私は盲でございます。御免なさい。御免なさい。」でいくなら人にちょっとは迷惑かける。けれども肉眼が段々つぶれていきよるのであり、いわば心眼が段々開けてきよるとするなら、その方が尊いとこう思う。だから問題はただそこでです。
 「私は盲で御座います。私盲で御座います」と言うてから盲でもないのに盲で御座いますと言うて、私は人の迷惑など考えないそこは又反省の余地があるとこう思います。ね。そして本当に肉眼をおいて心眼を開かせて貰う所の、おかげを頂かせてもろうたらこりゃ完全にです、お客さんに喜んで貰う商売になる事が出来るだろう。信者も助かりゃ信者の為に良い御取り次ぎ者としての、おかげを頂かれる先生にもなるだろう。
 けど中々肉眼をおいて心眼を開くと言う事は難しい。難しいけれどもです10年の思い込みを持って人から先生と言われる、自分の資格があるだろうか、ね、そこにいつも良い御取り次ぎがさせて頂きたいと、一つの思い込みを持ってそこを願っていく所にです。神様がこれは例えば高芝さんなんかその実感があるだろう。本当人の難儀を見たらお導きせにゃおかんと言った様な時代がおありになった時なんか言うておられました。
 お話しを始めるともう不思議な位に話が出来る。しかも相手の心を打つような話しがでる。ありゃもう本気で御導きさせて頂こうと思うたら、神様がそういうふうに働いて下さるんです。お客さんでも同じ事本気で喜んでもらおうと言う事になったら、喜んでそりゃぁ儲かる、儲からんじゃなくて当り前の商売をしておってもです。もう本当にお客さんが、どこそこで買わせてもろうて良かったと喜んでです。それを例えばまた人にも伝えられる同じ買うなら、あそこで買いなさいと言われるようなですねぇ。
 私おかげに必ず、お客さんの上に神様がお繰り合わせを下さると私信じます。今日の御理解はそう言う所をですね、一つ頂いてお互いの信心程度というものがです、いくらもお話しましたが、どの程度の所にあるだろうかと。ね、そして愈々その思い込みを、強い大きな広い物にしてゆかなければならん。そして目指す所は信心する者は肉眼をおいて、心眼を開かせて頂いての、信心生活が出来る様になけらねばならないと思うですね。
(終わり)